普遍的な宝物15/50

てもう三十年経過してしまいました。自分が、言ったことがないのによく言ったものです。いつか、本で読んだのですが白いばらでしたら、何とか自分でも行けそうでした。しかし、数年前に残念ながら閉店してしまいました
有名歌手もイベントで使うような老舗でした。
コロナでクラブなどのお店がだいぶ閉店しました。鈴本君とは、よくスナックやキャバクラにも連れれ行きました。鈴本君は、一緒に来ますがあまり好きではないようなのです。それは、嫌いではありません。酒飲んで、女性がいれば、楽しいですから。そういうわけで銀座でなくても高級感あるお店。美人のいるようなお店に行ってみたいのであります。先ずは、居酒屋でつぶれないように飲んでその後に、歌舞伎町で起きている不可解な出来事を理解して、その後、美人のいるお店に行って鈴本とお酒を飲んで、その後に珈琲を飲んでお開きにする。そんなプランを考えました。

普遍的な宝物16/50

よくこのコースで飲みに行きました。鈴本は、酒が強いのであまり酒を飲んでも普段と変わりません。だから、喧嘩することもなくよい時間が過ごせます。自分は、ビール瓶で二本目位飲んでいるあたりでこの辺でやめておこうかと思いました。レバーの串と豚バラ串を何本か食べました。レバーと豚バラが大好きでよく食べます。鈴本は、焼き鳥を塩焼きで食べていました。フライドポテトを食べておらず、これも好物ですので追加注文しました。
その間、鈴本君とは、仕事の状況。仙台は、たまには帰るのかというような事を話ました
鈴本は、同級生と結婚して子供はおりません。平和そうにくらしております。熱々のフライドポテトをわりと早く平らげました。表に出ました。区役所通りの直ぐ近くでした。風林会館が見えました。自分が大学生の時から名称変更してません。一階が喫茶店になっております。私は、S市出身です。大学生の時に高校の同級生とこのお店に来たことがあ

普遍的な宝物17/50

ります。同級生の名前は、田上。中学高校と同じでした。田上は、大学浪人して高田馬場とと中野坂上に住んでました。田上とは、四十年近く会ってません。大学進学を辞めてコピーライターの仕事をしているとのことでした。S市の実家は、再開発されて今は田上との連絡が取りようがありません。田上は、元気でやっているだろうか。お前・自分の心配をしろという声が聞こえてきました。おそらく元気なのでしょう。鈴本君と区役所通りを歩いているとキャバクラなどの呼び込みが沢山来ました。流石に世界有数の歓楽街だけありまして、次から次へと勧誘が来ます。この勧誘を断ち切りたどり着いたのは、ある靖国通り珈琲店でした。とにかく入店して落ち着きたかった。深夜にもかかわらず店内には沢山のお客さんがおりました。老若男女客層はまちまちです。鈴本と話しをして問題を整理していこうと思いました。何故、歌舞伎町に観覧車やリフトがあるのか。何故、

普遍的な宝物18/50

死んだ父親が病院に入院して歩けない母親と歩いているのか。何故、亡くなった大歌手の公演を開催しているのか。何故、好きだった吉川純江のことが忘れられないのか。全ては、肯定すれば、よいことなのだ。自分の日常には、影響しないことなのです。そのことに気づきました。肯定すれば済むことなのです。社会における肯定というのは、こういうことなのか。自分の中である結論が出ました。問題は、吉川純江に対する恋心だけなのです。結論がでたところで、最終電車に間に合うように鈴本君とは、別れるようにしましたしば。鈴本には、また近じか会おうと言って、新宿駅近くまで送りました。ところで、課題は、吉川純江に絞ったわけですが本人はどこにいるでしょうか。S市にいるのでしょうか。その時、源氏物語のことが思い出されました。平安時代中期に紫式部によって書かれた世界最古の恋愛小説とも言われております。光源氏藤壺に亡き母の面影を求め次々に恋愛し

普遍的な宝物19/50

ていく物語です。千年の時を経ても支持される日本文学の金字塔で。す。吉川純江さんは生きていると思いますが、自分は、歌舞伎町で吉川の面影を求めようと考えました。面影を求めるというのは、源氏物語光源氏と同じ発想です。著者である私は、この作品が源氏物語のように千年を超えて生き続けることを祈ります。源氏物語は、四百字詰め原稿用紙で二千四百枚の分量です。当作品は、その十分の一程度で読みやすくしました。
始めに、スマホのキャバクラのホームページでいくつか検索してみました。それなりの似た女性の方はおりました。しかし、写真を掲載していない方もおります。縁というものもあります。とりあえず、似た娘のいる区役所通りのビル内のお店に行ってみました。フリーの方が安いですので試しに入店してみました。その似た娘もいましたが何かときめきもなく、乗る気もしませんでしたので場内氏名もしないで何となく店も肌が合いませんので退店しました。続けてもう一軒行こうとも思いませんでした。ここは、一度休んでからの行動にしようと思いました。私は、五年前に東京都小平市に大手不動産会社が分譲しましたマンションを購入しました。                  サラリーマンは家を購入するとあまりお金が残らないのではないでしょうか。私とて例外ではありません。学生の時は、武蔵野市に住んでおりました。中央線沿線は、今回買ったところよりも一千万円位高いということであります。小平市武蔵野市にも近くてとても環境も良くてくて良い所です。環境が良いのが一番です。父親が大手建設会社の不動産部におりました。
父親は、S市内で九つのマンションを分譲しました。自分も新入社員の頃に、父親が分譲したマンションを一部屋購入しました。その後に転勤しましたので一度も住んだ事はありませんでした。昭和五十八年の事です。当

普遍的な宝物20/50

退店しました。続けてもう一軒行こうとも思いませんでした。ここは、一度休んでからの行動にしようと思いました。私は、五年前に東京都小平市に大手不動産会社が分譲しましたマンションを購入しました。サラリーマン
は家を購入するとあまりお金が残らないのではないでしょうか。私とて例外ではありません。学生の時は、武蔵野市に住んでおりました。中央線沿線は、今回買ったところよりも一千万円位高いということであります。小平市武蔵野市にも近くてとても環境も良くてくて良い所です。環境が良いのが一番です。父親が大手建設会社の不動産部におりました
。父親は、S市内で九つのマンションを分譲しました。自分も新入社員の頃に、父親が分譲したマンションを一部屋購入しました。その後に転勤しましたので一度も住んだ事はありませんでした。昭和五十八年の事です。当時は宅地建物取引主任者という資格ですが、勉強して取得しました。都道府県知事の資格

普遍的な宝物21/50

ですので準国家資格です。大臣資格が国家資格といいます。今でも登録しておりますので五年に一回の更新をしております。不動産の売買、賃貸の仲介媒介をするにあたる事業では五名に一人の有資格者が必要な法律です。す。宅地建物取引業法です。その後、会社ゃも終身雇用制度が崩壊しだし、希望退職を募ったりすることが珍しくなくなりました
。私が社会人になってからの大きな経済危機は、バブル崩壊リーマンショック。今回の新型コロナであります。産業にはどうしても良い時期、悪い時期があります。そのような中で自分の生活を守るために。または、人口減少で年金ですらあてにならないと叫ばれるようになりました。また、平均的な二人暮らしのモデルプランで老後二千万円足りないといういう二千万円問題まで出てきました。このような背景の中で副業や投資が不可欠なものとされまして、本屋には、その類いの本が沢山並びまして現在に至っております。私は