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最初に出会ったのは、十七歳の春。昭和五十年四月十六日でした。高校の廊下ですれ違いました。吉川純江さんとの最初の出会いでことです。
眼が切れ長で面長の顔つきでした。日本人ですが台湾・中国・華僑の方のような雰囲気があります。チャイナ服が似合いそうなそれでいて着物が似合いそうな感じです。そうです
。歌手でタレントのジュディオングと似た感じで目が違うという感じです。その時私は、高校二年生です。私の名前は、久本明良といいます。私は、純江に一目惚れしました。一目惚れとは,その容姿と雰囲気に感動魅了されます。何もその人のことを知らなくてもひきこまれるということでしょう。不思議といえば不思議なのです。性格も趣味も家庭環境も何もわからないのです。勿論、私との相性もわかりません。よって、人はそこからお付き合いをしてみるのでしょう。ただし、そこ

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で付き合いができなかったりした場合は、その出来事は、どうなるのでしょうか。付き合いができないというのもいろいろあります。付き合いを申し込めなかった。付き合いを申しこんだが断られた。少し付き合ったが、長続きしなかった。私の場合は、どれに該当するのだろうか。男らしく断られてもよいから交際して下さいと言ってみれば良かった。簡単にに言うとそれができなくて今日に至っております。ずっと好きで見たり、会ったりすると嬉しくて胸がドキドキしました。
二十歳位の時に歌舞伎町から酔っぱらって、吉川さんに電話したことがありました。吉川さん、九月十日が誕生日でした。㊇月のある日に電話しました。電話番号を知っているから親しいというわけではありません。当時は、名簿に住所と電話番号がかいてあるのです。廊下ですれ違いにお話して、一回喫茶店で会っただけです。ただ、それだけの関係でした
。「来月、お誕生日ですね。何かプレゼント

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しようか。」と言ったところ「知らない人からもらうわけにはいかない。」と言われました。それで話は終わりです。そんなにその人に執着しても何も利益はありません。そこで、はいそうですかで終わりなのです。デートしたわけでも何でもないのです。しかし、相手が自分に気が合った場合は、相手の態度も違うのでしょう。最初は、お話をして自分の事を死ってもらうことをしなければなりません。そして、相手のことも話してもらいお互いに知り合いになる。この部分が欠落しているのであります。この部分がないと社交性がない人間となってしまいます。今では、そのように簡単に分析できます。その時は、学生だし若くて理解できていなかった。しかし、学生でも恋人がいる方は沢山いるし、同棲する人もいます。中には、女性の方から積極的に誘われる人もいます。要は、普通かもしれないがそれ程もてるわけではないということです
。自分は、果たして吉川さんに何をしたいの

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か。付き合ってもいないのに結婚したいのか。だいたい学生であり就職していないので扶養することができない。でも好きだから誰かにとられたくないというのは事実の心境です。学生だから勉強していろといえばそれで終わる話であろうか。学生の時からお付き合いを始めてデートを重ねてお互いの理解を深めて結婚する。その間に、双方の両親も公認で、友人にも公認の仲で結婚にゴールインする。ある種の理想的なスタイルなのでしょう。
このような結婚は、社会性のあるスタイルと言えます。今は、男女共に結婚しない方もおり、ジェンダー問題もあります。この当時は、三十歳を過ぎても、単身でいるのは変わり者と言われる時代でした。自分は、計画とか信条など何もなく単に吉川さんが好きだったのです。
あるいはもっと社交性があり気さくであれば、お付き合いできたかもしれません。恋愛体験のない自分にとって何をすればよいかわから

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ないというのが本心なのでしょう。ただ会うとドキドキする。そんな感情を味わう幸せといえば幸せな時期でありました。当然、キスもしたこともないし、手も握るどころか触れたこともありません。だいたいキスというのはどのようにして知るのか。映画とかテレビドラマとか本とかそんなところから知るのでしょう。このように、ただ見ただけでドキドキする方とデートしたらどうなるのであろうか。まして、一緒に住んだらどうなるのであろうか。いつかはドキドキ感が収まらないと日常がもたないです。自分の中から出てきて付き合うようにするのだという声は自分の中でしております。一体何がしたいのか。簡単に考えてみましょう。簡単にお付き合いしてくれませんかと聞けばよいのです。何故、そんな簡単なことができないのか。断られるのが怖いのか。断られたらまた、他の女性を見つければよいではないさぁ、初めてみよう。このような押し問答を四十七年間もしており

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ます。パラレルワールドです。
ずっとその部分から動いておりません
考えているだけでは、一歩も進みません。
行動を起こすのです。という具合でパラレルワールドの如く叫び続けております。自分が相手に対する好意というのは伝えなければわからないのです。四十年を超えても叫び続けているこの想い。美しいのか汚いのか醜いのか。とにかく気持ちが継続しているのであります。これが初恋というものでしょうか。。ただ、初恋を四十六年間覚えていても正常な考えです。普遍的な思考です。
彼女は、私の事を何とも思っていない。そのような四十数年間は何をもたらいたのか。広大な時間は、無限大に広がっていく。そして私の恋。愛。情熱。全てが広がっていきました。スリムな彼女のドレス姿。切れ長の目が私を見る。私は、今まで私は、何をしていたのだろうか。恋をしていたのか。       幸福というのは、主観的断定です。この原稿に

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に自分の幸福を示したらそれで幸福は完成するのであろうか。幸福であるので完成とかいうのは適切ではないでしょう。別に、原稿用紙に書かなくても、幸福であると思えば幸福なのであろう。一目惚れ、片思いから幸福論にとんでしまいましたが人は、幸福になるために生きています。主観的な断定ですので、自分が幸福であると思えば、幸福です。普遍的な幸福です。ここは、令和二十二年ここは、新宿歌舞伎町。時間は、深夜である。歌舞伎町が遊園地のようになってます。観覧車とリフトが確認できます。私は、会社の後輩の鈴本敏行と一緒に居ました。鈴本とは、二十五年近い付き合いになります。真夜中の歌舞伎町。遊園地がプラスされて更に人が増えています。昔、観たSF映画のチャールストンヘストンの猿の惑星を思い出しました。その物語は、地球が猿人類に占領されるという恐ろしいお話でした。歌舞伎町を歩いているのは、死んだ方もいるのです。平